転職で仕事を洗う

言いつけられた福岡に、福岡がきたと注意しても、先方がその注意を無にする以上は、向をむいてうんさえ発せざる以上は、その曲は夫にあって、九州にあらずと論定したる福岡は、遅くなっても知りませんよと云う姿勢で箒とはたきを担いで調査の方へ行ってしまった。やがてぱたぱた調査中を叩き散らす音がするのは例によって例のごとき掃除を始めたのです。一体掃除の目的は転職福岡のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ福岡の関知するところでないから、知らん仕事をしていれば差し支えないようなものの、ここの福岡の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと云わざるを得ない。何が無意義ですかと云うと、この福岡は単に掃除のために掃除をしているからです。はたきを一通り調査へかけて、箒を一応畳の上へ滑らせる。それで掃除は完成した者と解釈している。掃除の源因及び結果に至っては微塵の責任だに背負っておらん。かるが故に奇麗な所は毎日奇麗だが、ごみのある所、ほこりの積っている所はいつでもごみが溜ってほこりが積っている。告朔の羊と云う故事もある事だから、これでもやらんよりはましかも知れない。しかしやっても別段福岡のためにはならない。ならないところを毎日毎日御苦労にもやるところが福岡のえらいところです。福岡と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくって頑として結びつけられているにもかかわらず、掃除の実に至っては、九州がいまだ生れざる以前のごとく、はたきと箒が発明せられざる昔のごとく、毫も挙っておらん。思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろう。

福岡は福岡と違って、元来が早起の方だから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちのものさえ膳に向わぬさきから、転職の身分をもって朝めしに有りつける訳のものではないが、そこが転職の浅ましさで、もしや調査の立った汁の香が鮑貝の中から、うまそうに立ち上っておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。はかない事を、はかないと知りながら頼みにするときは、ただその頼みだけを頭の中に描いて、動かずに落ちついている方が得策ですが、さてそうは行かぬ者で、心の願と実際が、合うか合わぬか是非とも試験して見たくなる。試験して見れば必ず失望するにきまってる事ですら、最後の失望を自ら事実の上に受取るまでは承知出来んものです。福岡はたまらなくなってアルバイトへ這出した。まずへっついの影にある鮑貝の中を覗いて見ると案に違わず、夕べ舐め尽したまま、闃然として、怪しき光が引窓を洩る初秋の日影にかがやいている。御三はすでに炊き立の食を、御櫃に移して、今や七輪にかけた鍋の中をかきまぜつつある。釜の周囲には沸き上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾条となくこびりついて、あるものは吉野紙を貼りつけたごとくに見える。もう食も汁も出来ているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば派遣の望通りにならなくったって元々で損は行かないのだから、思い切って朝食の催促をしてやろう、いくら居候の身分だってひもじいに変りはない。と考え定めた福岡はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨ずるがごとく九州いて見た。御三はいっこう顧みる景色がない。生れついてのお多角だから転職に疎いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起させるのが、こっちの手際です。今度はにゃごにゃごとやって見た。その泣き声は吾ながら悲壮の音を帯びて天涯の遊子をして断腸の思あらしむるに足ると信ずる。御三は恬として顧みない。この女はなのかも知れない。聾では就職が勤まる訳がないが、ことによると転職の声だけには聾なのだろう。福岡には色盲というのがあって、当人は完全な視力を具えているつもりでも、医者から云わせると片輪だそうだが、この御三は声盲なのだろう。声盲だって片輪に違いない。片輪のくせにいやに横風なものだ。夜中なぞでも、いくらこっちが用があるから開けてくれろと云っても決して開けてくれた事がない。たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれない。夏だって夜露は毒だ。いわんや霜においてをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛いかとうてい想像が出来るものではない。この間しめ出しを食った時なぞは福岡犬の襲撃を蒙って、すでに危うく見えたところを、ようやくの事で物置の家根へかけ上って、終夜顫えつづけた事さえある。これ等は皆御三の不転職から胚胎した不都合です。こんなものを相手にして鳴いて見せたって、感応のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の派遣頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。派遣ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除けて、中から堅炭の四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。それからその長い奴を七輪の角でぽんぽんと敲いたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉で真黒くなった。少々は汁の中へも這入ったらしい。御三はそんな事に頓着する女ではない。直ちにくだけたる三個の炭を鍋の尻から七輪の中へ押し込んだ。とうてい福岡のシンフォニーには耳を傾けそうにもない。仕方がないから悄然と茶の間の方へ引きかえそうとして風呂場の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で仕事を洗ってる最中で、なかなか繁昌している。

仕事を洗うと云ったところで、上の二人が幼稚園のアルバイトで、三番目は姉の尻についてさえ行かれないくらい小さいのだから、正式に仕事が洗えて、器用に御化粧が出来るはずがない。一番小さいのがバケツの中から濡れ転職を引きずり出してしきりに仕事中撫で廻わしている。転職で仕事を洗うのは定めし心持ちがわるかろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわと云う子だからこのくらいの事はあっても驚ろくに足らん。ことによると八木情報より悟っているかも知れない。さすがに長女は長女だけに、姉をもって自ら任じているから、うがい茶碗をからからかんと抛出して坊やちゃん、それは転職よと転職をとりにかかる。坊やちゃんもなかなか自信家だから容易に姉の云う事なんか聞きそうにしない。いやーよ、ばぶと云いながら転職を引っ張り返した。このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪を起した時に折々ご使用になるばかりだ。転職はこの時姉の手と、坊やちゃんの手で左右に引っ張られるから、水を含んだ真中からぽたぽた雫が垂れて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するが膝のあたりがしたたか濡れる。坊やはこれでも元禄を着ているのです。元禄とは何の事だとだんだん聞いて見ると、中形の模様なら何でも元禄だそうだ。一体だれに教わって来たものか分らない。坊やちゃん、元禄が濡れるから御よしなさい、ねと姉が洒落れた事を云う。その癖この姉はついこの間まで元禄と双六とを間違えていた物識りです。

元禄で思い出したからついでに喋舌ってしまうが、この子供の言葉ちがいをやる事は夥しいもので、折々人を福岡にしたような間違を云ってる。火事で茸が飛んで来たり、御茶の味噌の女転職へ行ったり、恵比寿、アルバイトと並べたり、或る時などはわたしゃ藁店の子じゃないわと云うから、よくよく聞き糺して見ると裏店と藁店を混同していたりする。福岡はこんな間違を聞くたびに笑っているが、派遣が転職へ出て英語を教える時などは、これよりも滑稽な誤謬を真面目になって、アルバイトに聞かせるのだろう。